民事裁判への国民参加は必然である

2020/05/09
主要な政党はいずれも民事裁判への国民参加については一応肯定的であるわけで、あとは国民の意向次第で、この方向はもっと推進できるはずなのです。理屈からしても今回の司法改革の出発点は規制緩和の流れの中で司法というインフラをいかに強化、整備して来るべき日本社会を構築していくかが課題だったはずです。

それなのに改革審の最終意見書が司法改革の目玉である国民参加は「とりあえず刑事裁判から」とした理由は何だったのでしょうか。1つには、たった13名しかいない改革審の有力メンバーに刑事法の専門家が入っており、刑事裁判についてなら制度設計や提言がしやすかったことがあります。

2つには財界が民事裁判での国民参加に消極的で、改革審の構成メンバーからして到底まとめることはできなかったという状況があります。すなわち、いくら消費者団体や労働界のメンバーが「民事にも国民参加を」と主張しても恐らく真正面から財界側メンバーとぶつかって意見はまとまらないだろう。そうなると「国民の司法参加」そのものまでお流れになる危険性が高いとの判断があったのではないかと思います。

実際、改革審の議論を見ますと民事司法については議論が割れてしまい、意見をまとめるのは大変だった様子がうかがえます。そして結果として改革審の民事司法についての提言はオブラートに包んだような当たり障りのないものにならざるを得ず、国民参加も「さしあたり刑事裁判から」となったのでした。

しかし、今後の政策づくりにおいて、どういう領域から国民参加の司法を実現するかは何もこの意見書にこだわる必要はありません。改革審の意見書はあくまでも「暫定案」であって、骨抜きにするのは困るとしても、その内容をさらに発展させることは審議会の意見に反することにはならないし、それが政治家に期待されていると考えるべきでしょう。